大阪仏壇について
593年聖徳太子が四天王寺を立てられた時、朝鮮半島の百済から技術者を呼び寄せ、大阪の上町台地に住まわせて、四天王の製造を携った。
四天王寺だけではなく、呼寄せられた技術も同時の民間職人に浸透され、仏壇、仏具の生産を始まったと言われています。その後、仏師、仏具師、彫刻師、塗師、木地師、指物師など更に区分され、産地が形成された。仏教が広まるのとともに、大阪独特の優れた製作技術・技法も府下一円に広まりました。仏壇の原形は、農人橋のお祓橋(はらいはし)の仏師が考案し、ほぞ組みに仕上げ、扉、障子を付け、移動に便利な型になっており、現在まで受け継がれています。
大阪仏壇の特徴は、漆を厚く塗りさせ、金具豪華な模様打ち、更に金具は錆びないように、高蒔絵という伝統技法を使い、見た目だけではなく、耐久性もす優れています。金仏壇の場合は、東用と西用、微妙にデザイン違い、宗派の違いも取り入られています。
大阪仏壇は金仏壇だけではなく、唐木仏壇も盛んに作られていました。大阪唐木銘木仏壇とは、紫檀、黒檀、花梨などの唐木や、桑、杉、桜などの素材を用いて、豪華な彫も取り入れて、材質と技を極めたお仏壇のことです。
大阪仏壇主な産地とは大阪市、堺市、岸和田市、豊中市、池田市、吹田市、泉大津市
他